さて、ヨルダンを5回シリーズまで見ていきましたが、おまけで、チームがイスラエル入国して訪れた「マサダ(要塞)」も最後に見ておきたいと思います。マサダは、イスラエル東部の死海西岸近くにあり標高約400メートルの岩山にあります。
頂上からの景色(死海) チームは死海に寄ってマサダに来ました。 思う以上に日差しが強く、水分補給と日除け対策は必須でした。 |
マサダの模型 |
ロープウェイで登頂 |
徒歩でも1時間(~2時間)くらいで登頂できるそうです。 |
ロープウェイからの眺め |
マサダ頂上 |
頂上にあるマサダの模型 ヘロデ時代に難攻不落といわれていた離宮兼要塞の3段テラス |
上手く撮れませんでしたが、ヘロデ宮殿の中段と下段テラスの一部が見えます。 |
ヘロデ王の宮殿時代のモザイク画 |
~マサダについて~
紀元前120年頃に要塞が建設され、後にヘロデ大王が離宮兼要塞として改修し、難攻不落と言われていた。
70年ローマ軍によってエルサレムが陥落された時、熱心党員を中心としたユダヤ人967人がマサダに立てこもり、ローマ軍15000人がこれを包囲。ユダヤ人たちは2年近く抵抗したが、73年についにローマ軍によって攻め落とされた。陥落直前に、女性(2人)と子供(5人)を残して全員が集団自決したという。
歴史的経緯から現在でもなお多くのユダヤ人にとって特別な思い入れのある場所で、ユダヤ人全滅の悲劇を再び繰り返してはならないという決意から、イスラエル国防軍の入隊式がマサダ頂上で行われ、国家への忠誠を誓う。ということです。
紀元前120年頃に要塞が建設され、後にヘロデ大王が離宮兼要塞として改修し、難攻不落と言われていた。
70年ローマ軍によってエルサレムが陥落された時、熱心党員を中心としたユダヤ人967人がマサダに立てこもり、ローマ軍15000人がこれを包囲。ユダヤ人たちは2年近く抵抗したが、73年についにローマ軍によって攻め落とされた。陥落直前に、女性(2人)と子供(5人)を残して全員が集団自決したという。
歴史的経緯から現在でもなお多くのユダヤ人にとって特別な思い入れのある場所で、ユダヤ人全滅の悲劇を再び繰り返してはならないという決意から、イスラエル国防軍の入隊式がマサダ頂上で行われ、国家への忠誠を誓う。ということです。