私は生まれつきの障害で脳性麻痺です。主に出会い2001年9月に救われました。我が家はいわゆる偶像崇拝の家で、数年前まで礼拝も両親に分からない様に自宅でさせて頂いていました。長年に渡り1人での忍耐が許されていました。
2014年度のイスラエル派遣に静岡の牧師や姉妹が遣わされている時に母が急に食欲を無くしマイナスな事しか言わなくなりました。私が聞いても話してくれませんでした。私にできる事は「主にお祈りをすること!」主に感謝し「母の悩みが分からないので教えてください。母を主にゆだねます。」とお祈りをしていました。
イスラエルチームが帰国し特例の自宅での礼拝の朝の事、硬く貝の口の様に閉ざしていた母がいきなり泣き出し悩みを話してくれました。その時「今日牧師に祈ってもらう?」と聞いたら即答でうなずき「お母さんもイエス様を信じればいいのに。楽だよ~!」と話したら「お墓に入る時に困る。」とかマイナスな言葉ばかりでした。
私はお祈りしつつ実際的にも母の悩みの事についてあちこち電話をかけていました。電話をかけている時に私は平安があると感じていました。そして解決を神様は用意してくださっていました。母の思い違いだったのです。
そして母が牧師がいらっしゃる時に仕事から帰宅し玄関で牧師と会いすでに泣いていました。牧師にお祈りをしていただき、牧師が「お母さんもイエス様を信じてみませんか?」という感じで聞いてくださいました。私は主の時を体験することになりました。
我が家は反クリスチャン派というような家ですが、母の口から出た言葉は「はい」と「イエス様を信じます」でした!泣きながら答えていました。そして2013年11月11日に母は聖子牧師の導きのもと、主を信じお祈りをしました。光の子となった母は180度という位に明るくなり今では一緒に食事のお祈りをしたり感謝も一緒にしたりしています。母は「身体が軽くなった!61歳で新しいいのちを頂いた!」と喜んでいます。
父はまだ神様を知りませんが母と聖書を読んでいる事が夢のようです。頑なな母を主が主の時に救って下さり12年間のお祈りが答えられた日になりました。まだかなり頑なな父や弟一家もいるので引き続きお祈りしていきます。神様に感謝します。そして 主の御名をほめたたえます。栄光在主
静岡校 ルカ